『ベレニス』から『バジャゼ』にさしかかったところで、ラシーヌ悲劇の研究は中断したままです。1986年にカトリックの洗礼を受けたことで、私自身のラシーヌに対する見方が、人間についても作品についても、それまでとはだいぶ変わってしまったためです。方針をたてなおして仕事を継続する(あるいは最初からやり直す)ためには、すこし時間をかけなくてはと思いながら、ちょうどその時期からずっと役職その他で研究にさく時間がなかなかとれぬまま、時間ばかりすぎてしまいました。
しばらく前から仕事の再開を考えつつ、ラシーヌ関係の本や作品を読み直したりもしていますが、なかなか思うにまかせません。以下に紹介するヴァルラン・ル・コントの研究と会わせ、いつかは完成させねばならぬ仕事と考えています。(2005.8.31.)
【おことわり】
8~11ページでアレクサンドル・アルディAlexandre Hardyについて述べていますが、アルディが1597年から1598年にかけてヴァルランの座付き作者となったという想定は全面撤回します。
その理由については以下の 「Alexandre Hardy, comédien ― 1600年アンジェの古文書が語ること」 をお読みください。
【おことわり】
校正時の手違いから、肝心の劇団協約文書も含めて、誤植がかなり残ったまた印刷されてしまいました。
劇団協約文書は以下の 「アンジェの3つの文書 ― 17世紀初頭の劇団協約」に訂正を加えたものを改めて掲載しましたので、そちらをご覧ください。
1600年の文書の詳しい内容と全文については、以下の「アンジェの3つの文書 ― 17世紀初頭の劇団協約」をご覧ください。
アラン・ハウ Alan Howe が、この3つの文書をふまえつつ論文を発表しました。なお、1600年と1606年の文書について、ハウが読み方の訂正を提案していますので、それを注記しました。
詳細はフランス語版ホームページをご覧ください。(2006.12.8. 情報更新、2006.12.11. 一部を修正し再度情報更新)
16世紀末から17世紀初頭にかけて活躍したヴァルラン・ル・コントValleran Le Conteというの役者の足跡をたどっているうちに、研究上の必要に迫られて古文書の世界に足を踏み入れてしまいました。
ただ、文書を調べている間に、いくつか成果もありました。たとえばヴァルラン・ル・コントをはじめとする当時の役者たちに関する未確認文書の発見です。とくにその中でも、アレクサンドル・アルディ Alexandre Hardy の署名がある1600年の劇団協約文書は重要な発見だったと確信しています。
これまで確認した文書は、私自身が発見した資料も含め、上にあげた「フランス演劇関係古文書資料一覧」(4回に分けて刊行)、「Alexandre Hardy, comedien ― 1600年アンジェの古文書が語ること」および「アンジェの3つの文書 ― 17世紀初頭の劇団協約」で紹介することができました。
時間的にも、文書館にこもる余裕はここ当分なさそうです。古文書とのつきあいはとりあえずこれくらいにして、そろそろまたヴァルラン・ル・コントに戻る時が来たかと思っています。(2005.8.31.)