永遠の沈黙 |
「この無限の空間の永遠の沈黙は私を恐怖させる。」 空間の無限を意識するとき、人はいつのまにか時間の無限をも意識してしまうようだ。ひとつ試しに、果てしない宇宙についてしばらく考えてみるとよい。知らぬ間に、限りなく続く時のことを考えている自分に気づくはずである。そして、空間と時間の「二つの無限」に呑み込まれてしまいそうな人間という無力な存在について思いめぐらす自分にも。 実際に、永遠という無限の持続と較べれば、私の生涯はつかの間にすぎず、私が現に生きている今という時間は無に等しい。そう意識するとき、パスカルの次のような問いを、自分に問わずにはいられないだろう。 「私のつかの間の生涯がその前後に続く永遠の前に吸い込まれてゆくことを思い、私が満たし私が見ているわずかな空間が、私の知らない、私を知らない無限に広大な空間の中に没してゆくことを思うとき、私は恐ろしくなる。そして私がそこではなくここにいることに驚く。なぜそこではなくここなのか、その時ではなく今なのか、何の理由もないからである。誰が私をここにおいたのか? 誰の命令、指図によって、この場所この時が私に定められたのか?」 私は今ここに生きている。だが、いったい何のために? 死んだ後どうなる? 身体は腐敗し、あるいは焼かれて灰となり、やがて私という存在はあとかたもなくなるだろう。では私の意識は、私の心、私の精神はどうか? それも肉体と共に消滅してしまい、あとは「この無限の空間の永遠の沈黙」のみが支配するのだろうか? もしもそうなら、私には恐怖と絶望しか残らないだろう。なぜなら、私という存在のすべては無に帰すということ、したがって私の存在には何の意味もなかったということになるのだから… いや、そうではない。君の存在に意味を与える「存在」がたしかにある。だから君はその「存在」に賭けなければならない、とパスカルは答える。次回はパスカルの賭について語ることにしたい。
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