古典に親しむ |
「創意をもつには方法は一つしかない。それは模倣することだ。よく考えるには方法は一つしかない。それはなにか昔からの検討をへた思想を継承することだ。」(アラン『教育論』五四) 逆説だろうか? そうではない。前半部で言われていること、とくに「模倣」の大切さは、稽古という言葉になじんだ日本人なら誰でも理屈ぬきで知っていることだ。稽古の基本は「型」の修得にあるが、型は真似ることによって身につけるものである。それが「修業」の常道であり、また型を極めることによって型を抜け出ることができる——つまり模倣の究極にこそ創意がある——という考え方も、われわれには無理なく受け入れられることなのである。 では、後半部は何を言わんとしているのか? 古典に親しみ、古典から学べ、ということだろう。時間を超えて現在にまで伝えられている過去のすぐれた書物が「古典」である。そこには、人間が昔から考えてきたこと、問題にしてきたことが、選びぬかれた言葉や表現によって記されている。人間にとって最も大切なことは何か、その問題に取り組むにはどうしたらよいかを学ぶための最良の手本が古典なのである。 古典はまた、思考力だけでなく、言葉を鍛えるための良き手段ともなる。人間は言葉でもってものを考えると同時に、言葉によって自分の考えを表現するからである。われわれが思いつくさまざまなことは、それが言葉でもって明確に表現されたとき、はじめて「考え」とか「思想」と呼ぶに値するものとなる。逆に言えば、言葉で表現できないうちは、まだ考えになっていないということだ。 「良書を読むことは、その著者である過去の時代の最もすぐれた人々と語り合うことであり、しかも彼らがその思想の最上のものをわれわれに示してくれる、よく準備された談話でもある。」(デカルト『方法序説』) だから、つとめて古典に親しもうではないか。それこそが、よく考える方法を身につける最も効果的な訓練なのだから。
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