イポリットの恋 |
前回紹介したように、ラシーヌはイポリットの恋によって、フェードルの嫉妬という新しい要素を導入した。だが、作者はそれ以外にも劇的効果を計算していた。フェードルの罪をやわらげ、観客がヒロインに同情や共感をいだくようにしむけることである。 フェードルがイポリットへの不倫の恋に苦しむように、イポリットも父テゼーの敵の娘アリシーをひそかに愛している。つまり、禁じられた恋に陥っているのはフェードルだけではない。イポリットにも弱みがあるということだ。 しかも、イポリットの恋は劇の冒頭で明らかにされる。こうして観客はフェードルに恋敵がいることを最初から知らされるわけだが、フェードルはそれを知らない。いつそれを知るか、そのとき彼女はどうするか、観客はその瞬間を待ち構えている。だから、イポリットの恋を知ったときのフェードルの衝撃は一層効果的に観客に伝わることになる。なにも知らずにむなしい恋に身を焼いていた彼女の憐れさも。 ラシーヌはこの重要な場面を入念に準備する。第四幕で、フェードルの乳母が、イポリットはフェードルによこしまな恋を抱いているとテゼーに讒言する。テゼーはそれを信じ、イポリットに死の呪いをかける。私が愛しているのはアリシーなのですとイポリットが告白しても無駄だった。テゼーの呪いを知ったフェードルは、イポリットを救うため、自分にこそ罪があると告白しそうになるが、まさにそのときテゼーからイポリットの恋のことを聞かされる。 衝撃に打ちのめされたフェードルは告白の機を失う。こうしてテゼーの呪いが実現し、イポリットは死ぬ。フェードルに残されていることは、絶望のうちに死ぬことだけである・・・ 全てが終わった後、毒を仰いだフェードルは、死の苦しみのうちにイポリットの無実を告白して息絶える。静かに崩れ落ちるヒロインの姿は、「悲劇に固有の快楽」である「恐れと憐れみ」(アリストテレス『詩学』)を、観客の心にかきたてるに違いない。
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