この無限の空間の・・・


 「この無限の空間の永遠の沈黙は私を恐怖させる。」

 うめきつつ祈る天才というロマン派的パスカル像に親しんだ人は、この恐怖の叫びをパスカル自身のものととらえるかもしれない。ヴァレリーはこれに反発し、追いつめられた動物のような悲鳴はキリスト者にふさわしくないと非難したほどである。

 しかし私は、むしろ神なき人間の戦慄をこの断章から読みとるべきだと考えている。もしも君が言うように神が存在しないとしたら、宇宙の無限や永遠について考えてみたまえ。人間を支えてくれるものは一体どこにある? そう問いかけるパスカルに、無神論者もたじろぐのではないか。

 前回紹介した「二つの無限」の直前の断章は、冒頭の一句と響きあう、次のような言葉で始まる。

 「人間の盲目と悲惨をながめ、沈黙する全宇宙と光もなくひとり見捨てられた人間、誰が自分をそこにおいたか、何をしに自分は来たか、死んだらどうなるかも知らず、何ひとつ認識できぬまま、宇宙のこの片隅で途方に暮れているような人間を見つめるとき、私は、眠っているあいだに恐ろしい無人島につれてこられ、目覚めると自分がどこにいるかわからず、そこからのがれる手段もない人のように恐怖におそわれる。そして私は不思議に思う、かくも悲惨な状態にあるのに、なぜ人は絶望におちいらずにいられるのかと。」

 だがパスカルは、人間の無力と悲惨を強調したこれらの断章の間に「考える葦」を配置していた。いたずらに恐れることはない、と言うかのように。

 宇宙とくらべれば、たしかに人間は無力である。しかし、自分の惨めさを知るがゆえに人間は偉大でもあるのだ。「だから、われわれの尊厳のすべては考えることにある。われわれが立ち上がらねばならぬのはそこからであって、われわれが満たすことのできぬ空間や時間からではない。」

 すべては自己を認識することから始まる。だが、パスカルはさらに問いかける。それがなにかは次回にゆずることにしたい。


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