- 山本芳久『キリスト教の核心をよむ』NHK出版、2021年、670円+税。
本の帯には次のように書かれています。
現代では、「宗教」と言うと固定的な見方を教え込むものというイメージがあると思います。しかし、宗教とは本来、そうしたものではありません。むしろ、我々が抱きがちな固定的な思い込みを克服して、人生という旅における新たな視界を切り開いていくための原動力となるものです。
実はこれは、「はじめに」の最後から一つ前の段落をそのまま引用した文章です。著者がこの本を通じて読者に伝えようとしたこと ― 著者から読者へのメッセージ ― と言ってよいでしょう。
キリスト教について本格的に向かい合ってみようと思う人は、まずこの本からどうぞ。
- 来住英俊『キリスト教は役に立つか』新潮選書、2017年、1300円+税。
著者はカトリック御受難修道会司祭。来住(「きし」と読む)神父はキリスト教信仰を次のように要約しています。
キリスト教信仰を生きるとは、正しい教えに従い、立派な人物の模範に倣うことではい。
キリスト教信仰を生きるとは、人となった神、イエス・キリストと、人生の悩み・喜び・疑問を語り合いながら、ともに旅路を歩むことである。
その旅路の終着点は、「神の国」と呼ばれる。
つまり、どういうこと? 興味を引かれた人はぜひ読んでみてください。
その前に、まず書評をどうぞ。
- ホセ・ヨンパルト『カトリックとプロテスタント ― どのように違うか』サンパウロ、1986年、972円。
キリストを信じることにおいては同じなのですが、カトリックとプロテスタントには、はっきりした違いがあります。共通点と相違点を知りたいという人のためには、まずこの本を薦めます。
- レオ・ジェー・テレセ『キリストの教え』国際語学社、2000年、2500円。
カトリックとは何かを知ろうと思ったら、まずはこの本をすすめます。カトリックの信仰の基本を、明快な文章とわかりやすいたとえを用いながら説明しています。
カトリック信者の人も、要理は子供の時習ったからいいなどと横着なことを言わず、ぜひ読んでみてください。
- 尾崎明夫神父「カトリックの教え」
尾崎明夫神父によるキリスト教(カトリック)入門です。
尾崎神父のユーモアあふれる「みなさんちょっと聞きなはれ ― 中学3年生のための哲学入門 ― 」もぜひどうぞ。尾崎神父がかつて長崎精道中学校・精道三川台中学校の3年生を相手に授業をしていたとき、生徒たちにあてて毎週せっせと書いた手紙がもとになっています。中学生相手の文章と侮ってはいけません。大学生、社会人が読んでもなるほどと思わせるものです。
同じく尾崎神父の「高校生のための哲学・倫理学入門」、「世界の窓」もあわせておすすめします。
- 『カトリック教会のカテキズム 』カトリック中央協議会、2002年、3888円。
もっと本格的に取り組んでみようと思う人はこれを読むとよいでしょう。以下はカトリック中央協議会のホームページの解説です。
『カトリック教会のカテキズム』は、1992年12月に初版が発表された「聖書、使徒伝承、教会教導権によって述べられ、あるいは、これらに照らして明確にされた教会の信仰とカトリック教理の解説」(教皇ヨハネ・パウロ二世使徒憲章「ゆだねられた信仰の遺産」より)です。教皇任命による編纂委員会が6年かけて完成させました。その後、1997年9月9日に80数箇所の文章を修正した規範版がラテン語で発刊されました。この日本語版カテキズムはその規範版の翻訳です。
バチカンによるカテキズム(=カトリック要理)の20世紀版集大成です。カトリック信者でない人にもすすめます。
詳しい内容については、カトリック中央協議会のホームページのカトリック教会のカテキズム オンデマンド 版を見てください。
- 『カトリック教会のカテキズム要約(コンペンディウム)』カトリック中央協議会、2010年、1296円。
上に紹介した『カトリック教会のカテキズム』の要約です。以下はカトリック中央協議会のホームページの解説です。
本書は、『カトリック教会のカテキズム』の「忠実かつ確実な要約」です。
本文は598の問いにより構成された問答形式で「教会の信仰の本質的かつ根本的な要素」を「簡潔な形で」提示しています。したがって、信者はもちろんのこと信者でない人にとっても、「カトリック信仰の全貌を見渡しながら把握」するための「便覧」となる書籍です。また、節目ごとにカラーの聖画図版とその解説が挿入されており、それらも教理理解のために主要な役割を果たしています。
個人でカトリックの教理を学ぶための読み物としても大変便利ですが、教会の要理勉強会や求道者向けの勉強会、またカトリック学校における宗教の時間の読本としても最適です。
- 稲垣良典『カトリック入門 ― 日本文化からのアプローチ』ちくま新書、2016年、1000円+税。
日本を代表するヨーロッパ中世哲学研究者(とくにトマス・アクイナスの研究と『神学大全』の翻訳者として有名)が、カトリック教会・カトリックの信仰の本質について、また日本的宗教性・霊性とカトリシズムとの関係について解き明かした本です。「入門」と銘打たれていますが、内容的には非常にレベルが高く、読んで理解するためには哲学的教養とキリスト教に関する一定の知識が必要です。文章は明快で、深い洞察と信仰による「知解」 ― 「人間理性による知的探求がどのように信仰の光によって導かれ」(109ページ)より深い理解へとすすんでいくか ― が見事に示されています。
本書の冒頭のまえがき、「なぜ日本人にはカトリシズムが受け入れられないのか」が筑摩書房のWebサイトで公開されているので、まずそれからお読みください。
- 岩下壮一『カトリックの信仰』講談社学術文庫、1994年/ちくま学芸文庫、2015年、2100円+税
さらに追求したいと思ったら、岩下壮一神父(1889~1940)のこの本がよいでしょう。
なお岩下壮一について知りたい人には、小坂井澄『人間の分際 神父岩下壮一』(聖母の騎士社/聖母文庫、1200円)と、重兼芳子『闇をてらす足おと』(春秋社、1450円)をすすめます。
- ヴィットリオ・メッソーリ『イエスの仮説』ドン・ボスコ社、1997年、2.000円。
イエスという存在が気になる人に、またその教えに関心がある人に、ぜひ読んでほしい本です。
神は実在するのか? イエス・キリストは真に神であるとともに人間でもあるのか? イエス・キリストとは一体いかなる「存在」なのか? その教えとは?
これらの問いに対して、著者は正面から取り組み、答えを出そうとしています。本書を読み進むうちに、イエス・キリストの「謎」に気づくはずです。もしもイエスが(たとえどれほど天才的な人物だったとしても)単なる人間にすぎず、ユダヤという当時の世界の片隅の小さな国の小集団のリーダーにすぎなかったとしたら、その惨めな死の後、生き残った少数の取るに足らぬ弟子達の力だけでもって、キリスト教はあのように発展し、しかも今日まで続いているでしょうか・・・
「こんなに面白い本が、どうして今まで日本語に翻訳されないでいるのだろうか」というのが翻訳者が最初に抱いた感想だったそうですが、わたしもこれを読んでまったく同じように感じました。実際、知的で、ユーモアがあって、しかも真面目な面白い本です。
- ジュゼッペ・リッチョッティ『キリスト伝』フェデリコ・バルバロ訳、講談社、1970年(復刻版:ドン・ボスコ社、1991年)
本格的なキリスト伝を読みたい人にはこの本を推薦します。800ページを超える大著ですが、読み応えは十分です。
- 教皇ベネディクト16世 ヨゼフ・ラツィンガー『ナザレのイエス』里野泰昭訳、春秋社、2008年、3.000円+税。
本の帯には次のように書かれています。「歴史のイエスと信仰のキリストが分裂しつつある現代、偉大な神学者である現教皇が、最新の聖書解釈学の成果をとり入れつつ、分裂を架橋し、父なる神と常に向き合って生きた真のイエスの姿を提示する。」著者自身が語る言葉を以下に紹介しましょう。
[私は]福音書のイエスを真のイエス、本来の意味での「歴史のイエス」として描くことを試みました。(p.13.)
イエスは一体何をもたらしたのですか。(・・・)答えは神です。彼は神をもたらしたのです。(・・・)真の神を、イエスは世界のすべての人たちにもたらしたのです。(p.71-72)
人間は窮極的にはただ一つのこと、そこにすべてのことが含まれている、ただ一つのことを必要としているのです。人は目先の願いや渇望を通して、彼が真に必要としているもの、真に欲しているもの知ることを学ばなければなりません。人間は神を必要としているのです。いろいろの象徴言語の後ろに、究極的にはこのことがあるのです。イエスは私たちに神を与えるからこそ、彼は私たちに「いのち」を与えるのです。彼は自ら神と一つであるからこそ、彼は子であるからこそ、彼は神を私たちに与えることができるのです。彼自身が賜なのです。彼は「いのち」です。まさにそれゆえに、彼は本質的に分かち合いであり、[他者のための存在」であるのです。このことはまさに、彼の真の高挙である十字架において現れるのです。(p.442)
- 名誉教皇ベネディクト16世 ヨゼフ・ラツィンガー『ナザレのイエスⅡ 十字架と復活』里野泰昭訳、春秋社、2013年、3.500円+税。
- 名誉教皇ベネディクト16世 ヨゼフ・ラツィンガー『ナザレのイエス プロローグ:降誕』里野泰昭訳、春秋社、2014年、2.500円+税。
- ヨハネ・パウロ2世『希望の扉を開く』同朋舎出版、1996年、2.000円。
ローマ教皇が、ジャーナリスト(ヴィットリオ・メッソーリ)の質問に答えて、「救いとは何か」「いかに祈るか、なぜ祈るか」「神が存在するなら、なぜ現れないのか」「世界に悪が存在するのはなぜか」「なぜ神は苦しみを無くされないのか」「信仰は何の役に立つのか」といったテーマについて率直に語っています。終始一貫して「恐れることはない」という励ましが響きわたります。
- 教皇フランシスコ/ドミニック・ヴォルトン『橋をつくるために 現代世界の諸問題をめぐる対話』戸口民也訳、新教出版社、2019年、2600円+税。
教皇フランシスコとフランスの社会学者ドミニック・ヴォルトンとの対話です。現代世界が抱えている問題をどうとらえればよいか、考えるヒントになります。詳しくはこちら ― とくに「目次」と「訳者あとがき」― をどうぞ。
- 日本カトリック司教団『いのちへのまなざし(増補新版)』(カトリック中央協議会、2017年、500円+税)
カトリック教会が人間の命をどうとらえているかを知るためには、まずこの本を読むとよいでしょう。
- 日本カトリック司教協議会 社会司教委員会・編『なぜ教会は社会問題にかかわるのか Q&A』(カトリック中央協議会、2012年)600円+税。
カトリック教会が社会的な問題をどうとらえているか、問題にどうかかわろうとしているかを知るためには、まずこの本を読むとよいでしょう。「カトリック教会の社会教説」も参考にしてください。
- 稲垣良典『信仰と理性』(第三文明社、レグルス文庫、1994年)
宗教は非科学的なものというのは間違った先入観です。信仰と理性とは相反するものでは決してない、というのがキリスト教の、とくにカトリックの基本的な立場です。少し難しいかもしれませんが、宗教とか信仰とかについて考えようとする人には是非読んでもらいたい本です。
- アウグスティヌス(山田晶訳)『告白』(『アウグスティヌス』中央公論社/世界の名著、1968年)
キリストへの信仰を語る書としては、まず聖アウグスティヌスの『告白』を薦めます。アウグスティヌスについては、山田晶『アウグスティヌス講話』(新地書房、1986年)もあわせて読むとよいでしょう。
- トマス・アクイナス(山田晶訳)『神学大全』(『トマス・アクイナス』中央公論社/世界の名著、1975年)
古代教父を代表するのが聖アウグスティヌスであるとすれば、中世の教父を代表するのが聖トマス・アクイナスでしょう。神学書としてだけでなく、西欧式論理学のお手本として読むこともできます。問いと答えの積み重ねによって、論理的に証明を進めて行く基本的な姿勢を読み取ることも大事です。
なお、聖トマス・アクイナスについては、稲垣良典『トマス・アクイナス』(講談社学術文庫、1999年)、山本芳久『トマス・アクィナス 理性と神秘』(岩波新書、2017年)もあわせて読むことを勧めます。
- パスカル『パンセ』
『パンセ』はキリスト教弁証論として構想されたもので、懐疑論者や無神論者に対してキリスト教の正しさを論証することがパスカルの目的でした。しかし、原稿の完成を待たずにパスカルは死に、原稿は未完のまま、多くの断章の束として残されました。彼の遺族・友人たちが残された原稿をもとに『死後遺稿のうちに見いだされた、宗教その他若干の問題についてのパスカル氏の思想(パンセ)』として発表したのが、題名の由来です。人間の存在について、また信仰についての、深い考察が示された書です。
『パンセ』の翻訳は何種類もありますが、次の本を推薦します。
パスカル『パンセ(上・中・下)』(塩川徹也訳、岩波文庫、上:2015年、1140円+税 中:2015年、1140円+税 下:2016年、1260円+税)
なお、『パンセ』とはどういう書物かについては、塩川徹也『パスカル『パンセ』を読む』岩波書店(岩波セミナーブックス80)を読むとよいでしょう。
- 『第二バチカン公会議公文書 改訂公式訳』カトリック中央協議会、2013年、3240円。
カトリック教会の基本的な姿勢を知ろうと思ったら、少し難しいですが、第二バチカン公会議の文書を読むことです。特に重要なのは「教会憲章」と「現代世界憲章」です。
「教会憲章」は教会とは何かを示したもの。また「現代世界憲章」は現代世界をカトリック教会がどのように考えているか、そしてカトリック信者は社会のなかでどのように生き、また世界に対してどう関わりかつ働きかけてゆくべきかを説いたものです。
- カトリック教会の社会教説
カトリック教会の社会教説とは、社会に生きる人間が直面するさまざまな問題 ― 政治的、文化的、経済的、社会的な問題 ― を取り上げ、教会の信仰と教義にてらしながら、それらの問題をどうとらえるべきか、また問題の解決に向かってどのように取り組むべきかを示したものです。社会教説の端緒となったのは、1891年、レオ13世教皇による回勅『レールム・ノヴァールム』でした。それから1世紀以上にわたり、教会はその時々の課題に対し、教会の見解を発表し続けています。
- 『新約聖書』
最後になってしまいましたが、まず第一に読むべきはむしろ『新約聖書』とくに四つの「福音書」です。イエス・キリストを知るにはこれ以上の書物はありません。
一般には新共同訳の聖書が使われていますが、わたしとしてはきちんとした注がついている
フェデリコ・バルバロ訳『新約聖書』(講談社)
フランシスコ会聖書研究所訳『新約聖書(新版)』(サンパウロ、単行本 1700円+税、ペーパーバック 1200円+税)
を薦めます。イエスが用いた「たとえ」ひとつ取っても、注なしには理解しにくいことや、最悪の場合には反対の意味に受け取ったりすることさえあるからです。自分勝手な読み方を避けるためにも、教会の伝承(カトリック教会では「聖書」と「聖伝」の二つをともに重視する)に従った注は必要不可欠です。
旧約聖書もあわせてもっていたいという人は、
フェデリコ・バルバロ訳『聖書』(講談社、8250円)
フランシスコ会聖書研究所訳『聖書』(サンパウロ、2013年、単行本 8000円+税、ペーパーバック 5000円+税)
を手に入れるとよいでしょう。