訳者あとがき
本書は Jean Toulat, La peine de mort en question, Paris, Pygmalion, 1977 の全訳である。ただし、著者の了解のもとに、原註のいくつかと本文のごく一部(フランス人の読者には意味がある情報であっても、日本人の読者にはまったく意味をなさないような指示)を省略した。また原註であげられた参考文献について言えば、原著では、たとえば本文中に指示がある場合には註では著者名や書名が省略されているが、本書では日本の読者の便宜も考えて(原書に直接あたってみようと思われる読者がいないとは決して言えないのだ!)できるかぎり著者名、書名、出版社名の三つともフランス語であげるよう配慮した。はじめに一言おことわりしておく。
著者ジャン・トゥーラについてはすでに『ヨーロッパの核と平和』(拙訳、三一書房、1988年刊)の「訳者あとがき」でも紹介ずみだが、本書ではじめてこの著者を知ったという方も多いと思われるので、重複を承知のうえであらためて紹介しなおすことにしたい。
ジャン・トゥーラは1915年にフランスの中西部ポワトゥー地方に生まれ、ポワチエ(ポワトゥー地方の中心都市)のサン・スタニスラス学院、パリのサン・シュルピス神学校に学び、1938年にカトリック司祭に叙階される。当初はごく普通の司祭の生活--小教区での司牧活動--を送るつもりでいたが、病気、そしてドイツとの戦争などがきっかけとなり、文筆活動に手を染めるようになる。とくに記念すべきことは、ドイツに敗れ意気沮喪していたフランス国民に向かって、1940年6月15日に--同年6月18日のド・ゴール将軍の有名なロンドンからの対独徹底坑戦の呼びかけに先立って--フランスの再生を訴える「されど希望を」を発表した、ということだ。このアピールは実際には見向きもされず、それどころか人からは「非現実的」とあざけられる始末だった、とトゥーラ神父は後年述懐しているが、一介の青年司祭が孤立無援の状況のなかで訴えた「希望」は決して非現実的なことではなかった。それは、歴史が証明するところである。
戦後、ジャン・トゥーラは本格的な文筆活動の道を(もちろん司祭としての務めをはたしながら)歩むことになる。1945年以降、カトリックの地方新聞・雑誌の仕事にかかわるようになり、1949年からは「フランス・カトリック地方新聞・雑誌協会」のために毎週、論説やルポルタージュ記事を書くことになる。以来、ジャーナリストとしてカトリック系の新聞『ラ・クロワ』(全国版・地方版)で健筆を揮い、また『ル・モンド』や『ウエスト・フランス』などの一般有力紙にも論説記事を寄せている。他方、作家としては、1959年のカナダでの取材活動を契機に最初の著書『カナダ--フランスの大地』(Canada, terre de France, Guy Victor, 1960) を上梓して以来、現在まで27冊の著書を発表している。主な作品としては次のものがある。
Juifs, mes frères, Fayard, 1962. (『わが兄弟ユダヤ人』、戦う作家賞)これらの本の題名からもある程度おわかりいただけると思うが、ジャン・トゥーラは司祭として、また人間として、キリストの教えに基づき、人間の尊厳と生命の尊重を一貫して訴え続けている。人間の尊厳をおかすもの、生命を抹殺するものに反対するがゆえに、彼は核兵器、安楽死、妊娠中絶に反対し、また本書のように死刑にも反対する。そして、人間を生かすものであるがゆえに信仰、希望、愛の力を称えるのである。Avec Paul VI en Terre Sainte, Fleurus, 1964. (『パウロ6世とともに聖地にて』)
La Bombe ou la Vie, Fayard, 1969. (『爆弾か生命か』)
Les Forces de l'Amour. De Jean Vanier à Mère Teresa, Ed. S.O.S., 1976. (『愛の力--ジャン・ヴァニエからマザー・テレサまで』)
L'Euthanasie en question, Pygmalion, 1976. (『安楽死を問う』)
Le Droit de naître, Pygmalion, 1979. (『生まれる権利』、フランス人文・社会科 学アカデミー賞)
Les Forces de l'Espoir, Ed. S.O.S., 1981. (『希望の力』)
Combattants de la Non-Violence. De Lanza del Vasto au général de Bollardière, Cerf, 1983. (『非暴力の戦士たち--ランザ・デル・ヴァストからド・ボラルディエール将軍まで』)
Oser la paix. Requête au président de la République, Cerf, 1985.(『あえて平 和を--ミッテラン大統領への提言』--邦題『ヨーロッパの核と平和』、三一書房、1988年刊)
Les Forces de la Foi, Ed. S.O.S., 1986. (『信仰の力』)
Un combat pour l'homme. Le général de Bollardière, Centurion, 1987.(『人間のための戦い--ボラルディエール将軍』)
Dom Helder Camara, Centurion, 1989. (『エルデル・カマラ』)
ジャン・トゥーラは常に現実をふまえ、具体的な事実に立脚しながら、現代社会の病根を指摘し、問題の解決方法とともに、われわれが向かうべき方向を示そうとする。時にはそれが、一般の人々の目には「非現実的」に見えることがあるも知れない。だが、われわれが「不可能」とか「絶望的」と思い込んでいる問題も、実はわれわれが臆病であるがゆえに、われわれが怠慢であるがゆえにそう見えるだけで、真に「希望」をもって果敢に立ち向かってゆけば解決への道も開けるはずではないか? 「不可能」や「絶望」を克服している人々が実際にここにいるではないか? 理念だけではなく実例もあげながら、トゥーラ神父は明快で説得力ある文章で、われわれに語りかける。その口調には、ジャーナリストとしての鋭い現実感覚・問題意識と同時に、人間に対する理解と共感、キリスト者としての「愛」を実践しようとする一人の聖職者の謙虚な、しかし力強い熱意が感じられないだろうか?
著者が序文で述べているとおり、原著の刊行後、フランスでは死刑は廃止された。本書からもうかがえると思うが、死刑廃止をめぐってはフランスの国論を二分する大論争が起こったほどである。しかしフランスは、他の西欧諸国にならって、ひとつの決断を行った。翻って日本の現状はどうだろう? マスコミがこの問題を真っ向から取り上げた例はほとんどなかったようだし、国会で本格的な討議が行われたこともなさそうだ。「臭いものに蓋」なのだろうか? あるいは国民の大部分がこの問題の真の意味に気づいてないために、こうした一種の無風状態が続いているのだろうか?
たしかにわが国では、死刑をめぐって--それこそ国中が真二つになるような--はなばなしい論戦が行われたことはなかった。国民の多くはこの問題について無関心のように見える。しかし、死刑廃止を訴える声がまったく聞かれないわけではない。まだ小さく弱い声かもしれないが、発言している人々はたしかに存在するのだ。その声がもっと大きく強いものになればと思う。そして国民の一人ひとりが、人間の尊厳、人間の生命について真剣に問い直すようになることを、心から願うものである。本書がひとつの問題提起の役割をはたすことができれば幸いである。
なお訳者の力量不足から誤りや不正確な訳も多々あると思う。御批判を仰ぎたい。
また、訳者の仕事を最初から最後まで深い理解をもって支えてくださった三一書房編集部の林順治氏に心から感謝申し上げたい。実際に、氏のすすめと終始変わらぬはげましがあったからこそ、この翻訳がはじまり、そして完成にまでいたったのである。
だれに対しても悪に悪を返すな。すべての人の前で善いことを行おうと努めよ。できればすべての人と平和を保て。愛する者よ、自分で復讐するな、かえって神の怒りにゆずれ。「主は言われる。仇は私がとる、報いるのは私である」〔第二法=申命記、32・35〕と記されている。むしろ、「敵が飢えているなら食べさせ、渇いているなら飲ませよ。こうしてあなたは、彼のあたまの上に燃える炭火を積む〔セム人の言い方。悪に対して善で報いるのを見て、悪人は良心の呵責を感じ、たぶん改心するだろう、という意味〕」。悪に勝たれるままにせず、善をもって悪に勝て。(ローマ人への手紙、第12章・17-21節)
1990年11月18日 長崎にて