あれは一九八三年十一月十六日のテレビ番組「真実を語る」の時でした。千二百万人の視聴者を前にして、あなたは厳粛かつ決然とした表情で登場しました。核兵器に関する質問を受けて、あなたは力をこめて明言しました。「フランスにおける抑止戦略の要は国家元首すなわち私です。」
この言葉をきいて、私は心の底から衝撃を受けました。二十年前から核抑止論は私の考察の中心をなしてきました。一九六九年に私は、この問題が契機となって『爆弾か生命か』を発表しました。その四年後、ムルロア環礁での核実験反対行動に参加し、抗議行動船「フリ号」(1)に乗り組みました。フランスのいくつかの機関はこの行動を失敗させようとしていましたが、その時あなたは私と私の友人たちを支持してくれました。当時あなたは、フランスに抑止力を与えた人物のことをこう評していました。「彼は戦略的にも道徳的にも遅れていた。」
ところがあなたは、昨日まで拒否していたその概念を、今日は我がものとしているようです。一九八一年五月二十一日、あなたはジャン・ジョレス(2)の墓に一輪のバラをささげました。その翌日、あなたはエリゼ宮のジュピテルの間(3)に下りて、核という雷火を手中にしたのです。それ以来、あなたはわが国の核兵器を絶えず開発すべく命令を発し続けました。そればかりか、国境を越えてヨーロッパを巡歴し、アメリカのミサイルを擁護してまわったのです。さらには日本でも一九八二年四月十六日の国会演説で、核兵器の恐ろしさを知り尽くしているこの国の人々に対し、核兵器を正当化しようとしました。
私の疑問に答えていただきたいのです。ジョレスかジュピテルか、どちらが本当のミッテランなのでしょう? バラ(4)か爆弾が、どちらがあなたの紋章でしょうか?
抑止とはあなたのことだとしたら、そうした核君主制と民主主義への配慮とをどのようにして両立させるのでしょうか? 「フランスは権利の国であることを誇りとしている」とあなたは言っています。それなのにあなたは対都市戦略−つまり場合によっては住民を皆殺しにするという戦略−を認めることができるのですか? あなたはただ一人の犯罪者に対しても死刑を拒否しておられる。ところが、何百万もの罪なき人々の死は許容するというのですか?
世界の将来がおびやかされているだけに、差し迫った疑問です。ポンペイの遺跡を訪ねたゲーテは「我々は火山の上で生きている」と嘆息しました。今日私たちは火薬庫の上で眠っています。それも、広島に投下された原爆の百方倍に相当する爆弾の上で。世界の軍事予算は一九八四年には総額八千億ドルに達していますが、これは一人あたりになおすと百六十六ドルとなり、チャド−そこでは飢えに苦しむ人々が蟻の巣を掘り返して、そこに貯えられた穀物を蟻と奪い合っています−の国民一人あたりの年間取入を上回っているのです。
恐怖の均衡? もしも核が拡散し、アジテーターの手におちでもしたら、それは恐怖の不均衡となるでしょう。それに警報装置の精密化にともない、事故の危険性も増大しています。「爆弾はいつか理由もわからぬまま発射されることになるだろう」とド・ゴール将軍も語っていました。
広島の平和記念資料館で、私はむごたらしい写真や絵を見ました。ある人たちは、まさに生きた松明となって川にとび込むのですが、沸騰する水で煮殺されました。またある人たちは、あの地獄の中で眼も鼻もとけ、顔がなくなっていました。そしてまたある人たちは、消えてなくなり、壁の上に影を残すのみでした。長崎では、私は「恵の丘長崎原爆ホーム」に被爆者を訪ねました。四十年問も苦しみを引きずって生きてきた何千ものヒバクシャのうちの幾人かを。
ところがこれも、今日私たちをおびやかしている世界の破滅と較べれば「無」に等しいとさえ言えるほどです。破局を想定しながら、戦略家たちは計算を単純化するためにメガデス(百万人の死者)とかギガデス(十億人の死者)といった新しい単位まで作り出しているのです。
こうした破滅へと向かう競争を前にして、東西両陣営諸国の科学アカデミー会長をつとめる五十七人の学者が一九八三年九月にバチカンに集まり、「軍拡競争は阻止されねばならない」という要請を採択して会議をしめくくりました。いかなる大国も自らの「防衛」を理由に軍備を増強することによって、結局は世界の火薬庫を増大させ全体的な爆発の危険性を高めているわけで、間接的には自国の安全をもそこなっているのです。
大統領閣下、あなたがとっておられる核政策はこうした状況の中に位置しているわけですが、その政策についての私の考えを述べたいと思います。どんな資格があって、とあなたはおたずねになるでしょうか?
まず市民としてです。国の安全は専門家のみに委ねられるべきではありません。この国に住む一人一人の人間にかかわることなのですから。
次にキリスト教徒としてです。たしかに技術的な問題に関しては、私は自分の信仰を引き合いに出そうとは思いません。しかし、どんな問題にも倫理的な面があります。福音の教えが問われている時には、あえて発言するのが私の使命なのです。
この本は攻撃誹謗の書では全くありません。いくつかの団体、いくつかの刊行物が先入観や攻撃心から、さらには憎しみからあなたを執拗に攻撃する−しかも、あなた個人を攻撃することによって国民をも攻撃することになりかねないということを忘れている−のを見て私は心を痛めています。私は追従と同様、不正からも身を遠ざけたいと思っています。
私があなたに訴えるのは、あなたが国家元首だからです。しかし、個人的にいくつかの共通の根をもつからでもあります。その根は同じ土地にはっています。私たちがそれぞれ生をうけたあのポワトゥー・シャラント地方です。私たちは同しキリスト教的ヒューマニズムの教育を受けました。あなたはアングレームの聖パウロ学院で、私はポワチエの聖スタニスラス学院で。多分私たちはあなたの言葉を借りれば「学位をとりに」やって来たポワチエ大学文学部のフュメ館ですれ違ったこともあったでしょう。それから、あなたはパリのヴォージラール街一○四番地のマリスト修道会の神父たちのところにいましたが、私は隣りのルガール街にいて、聖職につく準備を終えようとしていました。
当時私たちは二人ともナチズムの台頭に不安を覚えていました。ミュンヘン協定の五カ月前の一九三八年四月に、あなたは『モンタランベール』誌に最初の政治論文を発表しました。それは『ここまで、その先は否』と題されていましたが、その中であなたは「個々人の生き方と同様、国民の生き方においても、後退はいかなるものであれ敗北である」と断言していました。その二年後の一九四○年六月に、シャトールーで召集された私は武力が役立たなくなることはあっても精神の力は残されていると確信し、『されど希望を』というパンフレットを出しました。「状況は悲劇的だが、絶望的ではない」という言葉で始めた私は、「遅かれ早かれ復活の時を告げる鐘が響き渡るであろう」という言葉でこれをしめくくりました。一九四○年六月十五日のこのアピールを私があえて引用したのも、いわゆる「平和主義」、つまり敗北主義と同じ意味でとらえられるような「平和主義」には私は反対であると言いたかったからです。
私たちは二人とも私たちの祖国フランスを愛しています。私たちはフランスのために安全を願い、世界のためには正義と平和を願っています。私たちの相違は手段の選択にかかわるものです。いかなる代償を払おうとも平和をという考え方を私は拒否しますが、いかなる戦略を用いても防衛をという考え方もまた受け入れることはできません。「樹木が種子の中にあるように、目的は手段の中にある」とガンディは言いました。核という破壊的な力が平和を生み出すことができるでしょうか? 何百万もの人々を皆殺しにするといって脅しながら、人間の諸価値を擁護することができるものでしょうか? それに、これが安全を得る最良の道でしょうか?
とはいえ核の問題だけが私の注意をひいているわけではありません。核の教義に異議を申し立てるとして、「通常兵器による」防衛は信頼できるのでしょうか? 通常兵器もまた大量破壊能力をもっており、その便用はフランス軍隊規則が準拠しているジュネーヴ条約と相容れないのではないでしょうか?
どのようにすれば自己を逸脱することなく自己を守ることができるでしょうか?
軍事力という暴力が行き詰まったことから、新たな道の探求が必要となってきています。
どのような条件で−人権については確固たる態度を維持しながら―−東側諸国との緊張緩和を促進してゆけばよいでしょうか?
どのようにすれば、あなたが一九八三年九月二十八日に国連で提案した軍縮=開発計画が具体化され得るでしょうか?
一九八四年四月二十日、国防相は三人の研究者と、非軍事的市民レジスタンスの研究に関する契約に署名しました。これは、「力は武器にのみあるのではない」というあなたの言葉を深く掘り下げることへの励ましではないでしょうか?
本書が奇跡的な解決手段をもたらりし得るとは思っていません。国の安全と世界の平和を共に追求する上でいささかなりとも貢献できればと願いつつ、多くの若者たちの疑問、政治、社会あるいは宗教の問題において責任を負う立場にある人々の疑問、そして軍人さえもが抱いている疑問を改めて取り上げたものです。
あなたがこれらの人々の声に耳を貸さぬはずはないと私は信じています。一九八四年三月二十三日のワシントンでの記者会見で、あなたはこう言っていました。「私はジャーナリストと会うのが好きです。私を困らせるために質問してくる人もです。おかげで自分の考えをもっとよく吟味できますから。」
あなたが進めている防衛政策について私の考えを述べるにあたって、私は大統領選挙戦でのあなたのポスターを思い出しています。あなたは三色旗を背に穏やかに揺るぎない様子で写っていましたが、背景にはひとつの教会が浮かびあがっていました。ニエーヴル県のセルマージュの教会です。神秘に満ちたロマネスク様式の堅固な建物で、おそらくあなたは好んでそこに行き瞑想しておられるのでしょう。以前あなたは、「あなたにとってキリスト教の核心は何ですか?」と質問された時、「山上の説教」と答えていました。
大統領閣下、願わくはあなたが山上の教えのひとつであるこの言葉にふさわしい人となりますように。「平和をつくり出す人はさいわいである。」(5)