ジャン・トゥーラ著(戸口民也訳)『ヨーロッパの核と平和』

原点に帰る

 フランソワ、 ミッテラン、私はこの考察のあいだ絶えずあなたのことを考えてきましたが、本書をしめくくるにあたり、あなたの防衛政策に関して私がたちいたった結論をあなたと分かち合うべき時が来ました。

 「ミッテランの中には何人ものミッテランが存在する」とミシェール・コッタは語っていました。様々な力があなたの中でせめぎ合っています。一方ではある種のリアリズムの結果、あなたはあなたの前任者たちがのこした核の遺産を引き継ぎました。他方ではもっと深い流れがあなたを別の道へと進むよう突き動かしています。というのもあなたは、核の信仰のためにあなたが閉じこめられている状況を間違いなく自覚しているからです。

 民主主義者であり、「君主制の魅力には全く無関心である」と言っているあなたが、核兵器に関する絶対的権力を受け入れている。

 死刑には−最悪の犯罪者の場合でさえ―−心底から反対しているあなたが、人々を、それも罪もない人々を皆殺しにする計画を進めている。

 無差別テロを痛烈に批判するあなたが、核によるテロリズムを自分のものとしている。
抑止という仮借なき論理によってあなたはいつの日か、たとえ意に反してではあれ、集団殺戮の罪を犯す破目におちいるかもしれない。

 つまりあなたは「内的一致を求めている」人なのです。「だれもふたりの主人に仕えることはできない。神と富とにともに仕えることはできない」(1)とあるように、神かプリュトンかです。どうすれば調和を見出せるのでしょうか?

 アメリカ空軍の元参謀長ブラッドレー将軍が語った「われわれは原子からその秘密をもぎ取り、山上の説教を捨て去ってしまった」という言葉が手掛りとなります。解決策はすべて示されています。つまりガンディが自らの憲章とし、あなた自身も「キリスト教の堅固な核」であると語ったあの説教に立ち戻ることです。

 山上から響いてくるキリストのあの言葉は高邁なるユートピアにすぎないのでしょうか? もしもそれが至高のリアリズムだとしたらどうでしょうか? 「《目には目を、歯には歯を》とあなたたちは教えられてきた。」(2) 戦車には戦車を、ミサイルにはミサイルを。「しかし、わたしはあなたたちに言う。敵を愛し、迫害する人のために折れ。」(3) 善によって悪に打ちかちなさい。あなたたちの敵を友とすることによって、敵を滅ぼしなさい。これが福音の戦略です。福音は人間に賭けること、抑止力よりもむしろ説得力に賭けること、恐怖の弁証法を平和の力学におきかえること、あえて第一歩を踏み出すことをすすめています。「自分の命を失うことを承知する者はそれを救うであろう。命を救おうと思う者はそれを失うであろう。」(4)

 ドイツで大成功を収めた出版物のひとつに『山上の説教による政治』と題された小さな本があります。著者のフランツ・アルトは著名なテレビ記者ですが、彼はこう書いています。「われわれが核による大殺戮を阻止できるとしたら、それはわれわれの敵を愛し和解することによってであろう。ソ連人もわれわれの兄弟であり姉妹である。というのもすべての人間は《父》を同じくしているからだ。そこに平和の黄金律がある。」

 インドのネール首相は「世界は仏陀の教えと水素爆弾のどちらかを選ばねばならない」と直観していました。エリザベス女王も英連邦へのメッセージの中で同じ主旨のことを述べています。「学者たちはわれわれに連鎖反応のことを話します。この原理をあらゆる力の中でも最も大きな力、われわれの同胞に対する愛の力に適用しなければなりませんごあなた自身、間近に迫ったフランス革命二百年祭について質問された際、「われわれは愛の革命を説いてみてはどうか」と示唆しなかったでしょうか? また別の折にあなたは、何が社会的な飛躍の動機となりうるかについてふれながら、「聖書の中には私に植えつけられた文化的諸価値のすべてがある」とも言っていました。

 それが私たちが五十年前に各々の学校で受けた教えです。しかし、入生の戦いの中でこの教えは風化されそうになってもいます。今再び原点に帰り、若き日のみずみずしい理想を思い出すべきでしょう。アングレームの聖パウロ学院について、あなたはこう書いています。「カトリック私立学校での八年間で、私は精神の規律を身につけた。この学校に対する愛着と、親切で穏やかな先生たちのことは今も心に残っている。」

 学院でもあなたが在学していた時のことは忘れられていません。二十二年間この学院の経営にあたり、今では八十代を迎えている司祭は、私にこう書き送ってきました。「聖パウロ学院時代のフランソワは、教師全員に愛される素晴らしい生徒でした。熱心で思慮深く、規律正しい生徒でしたから、最高学年の哲学クラスの時には学院の栄誉賞を授けられました。哲学の教師だったジョビ師はすでに彼のことをこう言っていました(ジョビ師はそれを学院の同窓会誌に書いています)。《フランソワ・ミッテランの深い内省的な生活は、優に一冊の書物になる…》彼は正義、立憲性、民主主義、貧しい者への配慮、連帯の必要性などに対する鋭い感覚を持っており、またそうしたことを思うがゆえに彼は心をふるわせ、深く考えていたのです。彼は演説家としての才能を示し、退役軍人修道士の権利を擁護してアキテーヌ地区優勝杯を獲得しました。人間の諸権利と今日呼ばれているもののなかで彼が関心を示さなかったものはひとつとしてありませんでした。」

 「大志の人」とカトリーヌ・ネーはあなたの歩んできた道を特徴づけています。ひとつの使命を内にひめた大志。学院を出る時あなたは「ぼくは大統領になる」と言っだそうですが、おそらくあなたは極めて人間的な感情を通じて真の使命を口にしていたのでしょう。後に聖人に列せられたマクシミリアン・コルベ神父が十歳のころ「ぼくは教皇さまになるんだ」と言っていたのと、どこか似ています。あなたの学院の紋章に「御摂理のにこやかな目くばせを見てとるべきでしょうか? 四すみにひとつずつ配された四つの薔薇、静謐の力を示す一本の樫の木、平和をつくり出す人となることをあらわす一枚のオリーブの葉。そして銘句は「真理ノウチニ恩寵ヲ」Gratiam in veritate です。恩寵、成功、使命の成就−まさにそのとおりです。ただし、真理のうちに真理によりて、でなくてはなりません。あなたに与えられた運命を実現する上でまだ残されていることは、おそらくこの真理の要請にこたえること、政治の世界が実に安易におちいりがちな二枚舌と誤ったリアリズムとを追い払うことでしょう。

 原点に帰る、それはあの特権的な場所、あなた自身が「私の子供時代の最も豊かな部分を過ごした」と語っているシャラント県南部のナビノー村−ロレーヌ地方出身のあなたの祖父母が住んでいたトゥーヴァンの所有地があるあの場所−を思うことでもあります。「土がかかとにくっつくと、シャラントの農民はよく肥えた土だと言う。」あなたが書いている土地もそうです。「私は子供の頃から眺めているが、美しいものに接した時に感ずるあの驚きの気持、誰かに感謝したいという思いをなんとはなしに抱かずにはおれぬあの驚きの気持がなくなることは決してない。」日曜日のミサの時間になると、一台の馬車が教会とその小さな墓地の前であなたをおろします。その場全体の情景は大統領執務室の中にいても、絶えずあなたの目に浮かぶのです。あのつつましやかなロマネスク様式の教会は、かつてはジャン・ド・ポルトロー(5)−ギーズ公を暗殺した人物−の城館の礼拝堂だったとのことです。

 今日そこには平和と静寂が支配しています。教会の鐘すら月に一度、村に住む八十人の人々のためにオーブテールの司祭がミサをたてにやって来る時にしか鳴りません。それまでの間は、教会は閉ざされたままになっています。

 私は管理人のポム夫人に鍵を貸してほしいと頼みました。というのも、わが国の運命を司る人物にとって昔も今も霊感の原点であり続けているこの場所を訪れ、そこで黙想したいと思ったからです。私は祭壇に向かい心をこめてミサをささげました。何のために? 平和、フランス、大統領のためにです。第一朗読は聖ルイ(6)の祝日の典礼に用いられるものを選びました。つまり、富や長寿を求めずに自らの民を統治する知恵とわざを求めた若きソロモン王の祈りです。福音書からは最後の晩餐でキリストが語った別れの言葉を取り上げました。「わたしは平和をあなたたちに残し、わたしの平和をあなたたちに与える。わたしはこの世が与えるようにしてそれを与えるのではない。」(7)−そして「この世」は、戦争をするための手段を積み重ねることによって平和を探し求めているのです。

 十四枚の絵が教会の壁にかけられています。キリストの受難−信者がそのあとをたどるよう求められているあの十字架の道行−の十四の情景を描いた絵です。ひとつひとつの絵の前に行くごとに私は、自分が何をしているのかを知らぬまま拷問し、殺し、殺戮を行ったすべての人々−モーリアックが「イエズス・キリストの死刑執行人にならいて」と呼んでいることを実際に行ったすべての人々−のために、赦しをこい願いました。権力を不当に行便していたにもかかわらずカトリックの信仰を口にしていた隣国の独裁者のことを、あなた自身こう述べていました。「朝夕神の前にひざまずきはするものの、彼にはその神が血を流しておられるのが全く見えなかった。手から、足から、心臓から、世界中のすべての死刑執行人が犠牲者となったすべての人々に加えるありとあらゆる拷問の傷口と同じ場所から、神が血を流しておられるのが、彼には全く見えなかったのである。」

 教会を出て、私は小さな墓地に長いあいだとどまりました。あなたはいつかはそこに憩うことを願っているとナビノーの人たちから聞きました。ベルジェ、フォール、グラ、テイヤールといった名が墓標にしるされていましたが、あなたはこの人たちと共に眠るのでしょう。花々。十字架像。「永遠の悔い」はありません。「最良のものは道の終りにある」からです。そのときあなたは、あなたが「孤独の時の伴侶、あらゆることを説き明かしてくれる師」と呼んでいるかたと出会うのでしょう。「私は十分な余裕を与えられぬまま最期の時を迎えたくない」ともあなたは付け加えています。たしかに、目を閉じる前に新たな「夜明け」に向かって目を開く準備ができるのは、ひとつの恩寵です。

 墓は教会と同様、朝日の昇る方角を向いています。「方向が示されている〔=東方を向いている〕」のです。それは私たちに、「限りなき存在」がわれわれ人間の条件を分かち合うために来たりたもうたあの神聖な地に私たちのまなざしを向けるよう誘っているのです。かくも多くの巡礼たちを引きつけているあの精神の祖国を思いながら私たちの出会いをしめくくってみてはどうでしょうか?

 今私は、ショージ・ザベルカというアメリカ人司祭のことを思い浮かべています。彼とは一九八三年六月にパリで出会ったのですが、その時彼は十八人の同胞と共にクリスマスに着けるようにと願いながらベツレヘムに向かって歩いていました。被の靴にはそれぞれヒロシマ、ナガサキと書かれていました。まるで人類の恥辱のひとつを足下に踏みにじりたいとでもいうように。その恥辱に彼は関与していました。彼はテニアン基地で従軍司祭をつとめていましたが、原爆を投下した飛行機はその基地から飛び立って行ったのです。「それなのに当時私は何も言いませんでした」と今彼は悔やんでいます。「原爆投下の2カ月後、私は広島と長崎を再び訪れました。私は廃墟と化した二つの町を見ました。女や子供たちが恐ろしいやけどに苦しんでいるのを見ました。長崎で、私は天主堂の残骸の中から香炉の破片を拾いました。それを眺める度に私は祈るのです、《ああ、神さま、わたしたちをお赦しください。わたしたちはキリストの教えに背き、主がおつくりになったものを破壊してしまいました》と。」

 ジョージ・ザベルカとその一行は十二月二十五日にベツヘレムに着きました。彼らがそこで祈りを捧げた寛大なる神は、おんみずからの血のほかには血をお流しにはなりませんでした。それにしても、神こそはあらゆる時代を通じて最大の革命家ではないでしょうか? 神の教えは隷属の鎖を断ち切りました。今日でも神と共にあるならば、神に従う人々とすべての善意の人が恐怖の束縛を打ち破ることができるのです。

聖書の時代と同様、人類は今決定的な二者択一を迫られています。「わたしは生命と死をあなたの前に置いた。」(8)すべての人間にとって、国家元首たちにとって、そしてフランソワ・ミッテラン、あなたにとって、選択の時が来たのです。

 ヒロシマか、ベツレヘムか。

(1) マタイ 6-24。
(2) マタイ 5-38。
(3) マタイ 5-44。
(4) マタイ 10-39、16-25。マルコ 8-35、ルカ9-24、17-33。
(5) 1533頃−1563。新教徒の貴族。宗教戦争がはじまって間もない1563年に、カトリック側の大立物フランソワ・ド・ギーズを暗殺した。
(6) フランス王ルイ9世(在位一二二六−一二七○)。死後聖人に列せられる。
(7) ヨハネ 14-27。
(8) 申命記 30-19。


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