著者ジャン・トゥーラは一九一五年生まれで、フランス・ポワトゥー地方の出身、現在はパリに住む。カトリックの司祭であり、かつジャーナリスト、作家としても文筆活動を通じてキリスト者の使命を実践している。ジャーナリストとしては『ラ・クロワ』紙をはじめとするカトリック系の新聞、雑誌に定期的に論説やルポルタージュを提供するとともに、『ル・モンド』紙や『ウェスト・フランス』紙など一般有力紙でも論陣を張っている。また作家としてはこれまでに二十冊をこえる著書を発表しているが、主な作品としては次のものがある。
本書もそうであるが、ジャン・トゥーラの著書は常に具体内事実をふまえながら、明快かつ説得力ある文章で論を展開してゆく。時には彼の主張ないし提唱することが「現実」から遊離しているように見えるかもしれない。しかしそんな時こそむしろ現実に対する彼の洞察が光ってくる。彼は現代人がおちいりがちな「誤った現実主義」にこそ問題があると指摘し、われわれがエゴイズムや先入観にとらわれずに「現実」を直視するようすすめるのである。しかも徹底した実践家でもあるトゥーラ神父は、理念を述べる際にも実践が可能であることを示すのを忘れない。それもしばしば自らの行動によって示していることは、本書からも察せられよう。
フランスがド・ゴール以来「独自の」核政策を堅持していることは読者もよくご存じと思う。しかしその実態はと言えば、わが国ではほとんど知られていないのではないか。核、平和といえば米ソ両超大国がもっぱら取り上げられるなかで、情報のかたよりや発想の固定化がむしろ進んでいるように思う。それもかなり深刻な状態にまで進行しているのではないかと私は危惧している。
本書はフランスの核政策、さらに核抑止論そのものを具体的に論じ、かつ徹底的に批判している。またソ連、東欧諸国も含めたヨーロッパ全体を視野におさめながら、核と平和の問題を取り上げてもいる。そして著者は、武器や暴力に頼るのではなく、別の方法で平和のために「戦う」ことを提言しているのである。この本はフランスという核兵器保有国の事例研究としても、また米ソの核が直接対時するヨーロッパについて考える上でも、示唆に富んでいると思う。米ソという固定的な枠組をこえて、別の発想、別の観点から核と平和を見なおす刺激となるのではないだろうか。さらに付け加えるなら、著者が提唱する「非暴力による民間防衛」という考え方、手段は、「平和憲法」をもつわれわれにとっては特に研究に価するものではなかろうか。
なお訳者の力量不足から誤りや不正確な訳も多々あると思う。御批判を仰ぎたい。
最後にこの本が形になるまで直接、間接に助けて下さった方々にお礼を申し上げたい。特に著者の友人で川崎市浅田カトリック教会の司祭エドワード・ブジョストフスキ神父様と三一書房編集部の林順治さん、お二人には心から感謝いたします。あなたたちがいたればこそ、本書もこうして「生まれる」ことができたのですから。
「平和をつくり出す人はさいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろう。」(マタイ5-9)
一九八八年一月七日長崎にて