教皇ベネディクト十六世回勅『真理に根ざした愛』62-67

(2009年6月29日)

日本語版:カトリック中央協議会、2011年 より
(なお、日付は漢数字を算用数字に改めました。また赤いフォントで記した小見出しは戸口が付け加えたものです)


移民について
62 の全人的発展のもう一つの注意すべき側面は、移民という現象です。これは、関係する人々が膨大な人数になっているため、また引き起こされる社会、経済、政治、文化、ならびに宗教上の問題のため、そして国家および国際共同体に突きつける劇的な課題のため、顕著な現象になっています。わたしたちは新時代を画すほどの社会現象に直面しているといっても過言ではありません。この現象を効果的に扱おうとするなら、思い切った前向きな国際協力の政策が必要になります。このような政策は、移民の本国と目的国との緊密な協調から出発すべきです。そして、個々の移民とその家族の必要と権利、同時に、受入国の人々の必要と権利を守るために、種々の法制度を調整できる適切な国際規範を伴ったものでなければなりません。今日の移民問題に一国で対処することを期待できる国はありません。わたしたちのだれもが、移民の流れに伴う苦痛の負担、混乱、そして願望を目撃しています。周知のとおり、この現象を管理することは困難です。しかし、新しい国に溶け込むことが難しいにもかかわらず、外国人労働者が、家族への仕送りによる本国への貢献に加えて、労働を通じて、受入国の経済発展に重要な貢献をしているということは明らかです。当然のように、これらの労働者を商品や単なる労働力としてみることはできません。したがって、移民労働者は、他の生産要素のように扱われてはいけません。すべての移民は、人間として、すべての状況ですベての人によって尊重されなければならない基本的で不可侵な権利を有しています(142)

貧困と失業について
63 発展に関連する諸問題を検討するうえで、貧困と失業の直接の関係を強調しないわけにはいきません。多くの場合、貧困は人間の労働の尊厳に対する侵害から生じます。それは労働の機会が(失業または不完全雇用によって)制限されるためか、あるいは「労働および労働から生じる権利、なかでも、正当な賃金と、労働者とその家族のための人間としての保障とを受ける権利が低く評価される(143)」ためなのです。このために、2000年5月1日に開かれた大聖年の労働者の祝祭にて、尊敬すべき前任者ヨハネ・は、国際労働機関の戦略を支持して、「『働きがいのある人間らしい仕事』のためのグローバルな連合(144)」を呼びかけました。このようにして、ヨハネ・パウロ二世は、この目的を世界のあらゆる国の諸家族の願いとしてとらえ、その動きに強い道義的刺激を与えました。労働について「働きがいのある人間らしい」ということばは何を意味するのでしょうか。それは、それぞれの社会状況におけるすべての人の基本的尊厳を表現する労働を意味します。すなわち、それは、自由に選択された、労働者を男女ともその所属する共同体の発展に効果的に関係させる労働、労働者が尊敬され、いかなる形態の差別からも解放されることを可能にする労働、家族がその必要を満たし、子どもに強制労働をさせずに教育を受けさせることを可能にする労働、労働者が自由に自らを組織して声を上げることを可能にする労働、個人、家族、および精神レベルで自らの本性を再発見するための十分な余裕を残す労働、まっとうな生活水準を退職者に保障する労働です。

労働組合について
64 労働組合はつねに教会によって奨励され、支持されているのですが、労働というテーマを熟慮するとき、労働組合が、労働の世界で現れつつある新しい状況に対して開かれた姿勢をもつことがどれほど重要かを思い起こすことが適切です。労働組合は、本来は労働という限定された領域に対応するために設立されましたが、現在はより広範な関心事に目を向け、社会において生じている新しい問題のいくつかに着手することが求められます。たとえば、労働者と消費者の利権衝突として社会科学者が指摘する複合的な諸問題が挙げられます。労働者から消費者へと焦点が取って代わられたという主張を必ずしも支持せずとも、これは労働組合の創造的探求に新たな領域を提示するものでしよう。労働を取り巻く状況がグローバルなものになっているため、登録されたメンバーの利権を守ることに終始する傾向がある一国レベルの労働組合には、外部の人々、とくに、社会権がしばしば侵害されている発展途上国の労働者に注意を向けることが要求されます。これらの労働者の擁護を通して、労働組合は、現在とは異なる社会と労働の状況の中で発展への決定的な役割を果たしえた、真に倫理的かつ文化的な動機づけを、あらためて示すことができるでしょう。これらの労働者の擁護は部分的にはその本国に向けた適切な取り組みによって達成できるものです。教会の伝統的な教えは、労働組合と政治のそれぞれの役割と機能を正当に区別します。この区別によって、組合は、労働を保護し促進するのに必要な活動を行う適切な場として、市民社会を同定することができるようになります。これは、とくに、搾取され、また代弁者をもたない労働者のためです。彼らの悲惨な状態は、社会の注意散漫によって、しばしば無視されるのです。

金融について
65 したがって、実体経済に今日のような損害をもたらした濫用の後に必要とされる新たな構造と運用法の構築を経て、金融は、発展と富の創出の改善に向けられる手段へと今一度なる必要があります。経済と金融は道具なのですから、そのいくつかの部門だけではなく、経済と金融の全体が、人間の発展および民族の発展に適した条件を形成するよう、倫理的に利用されなければなりません。人道主義的な次元が優先される財政的取り組みを始めることは、確かに有益であり、ある状況では不可欠です。しかし、このことで、金融制度全体が真の発展の持続を目的としなければならないという事実を見失ってはいけません。とりわけ、善を行う意図が、商品を生産する実質的な能力と両立しないと考えられてはいけません。金融業者は、その活動の真に倫理的な基盤を再発見する必要があります。そうしなければ、高度な手段の悪用によって貯蓄者の利益に背く可能性もあります。正しい意図、透明性、優れた成果の追求は、相互に両立するものであり、互いが分離されてはなりません。もし、愛が賢明であるなら、それは、将来に備えた利便性に一致した活動方法を見つけることができます。このことは、信用組合の多くの経験によって意義深く浮き彫りにされています。
 弱者を保護し、醜悪な投機を抑制するための金融の規制と、開発プロジェクトを支援するために考案された金融の新しい形態の試用はどちらも、投資家の責任を強調する形で、さらに探求され、奨励されるべき肯定的な成果を上げている取り組みです。さらに、市民的人道主義者の思想と活動(ここでは、とくに質屋業の誕生について考えています)に由来するマイクロ・ファイナンスの取り組みも強化され、微調整を加えられるべきです。このことは、より脆弱な状況に置かれた多くの人々の経済的困難が深刻になりやすい今日にあっては、なおのこと必要です。これらの人々は、高利と絶望の危険から守られるべきです。貧しい民族がマイクロ・クレジットから実利を得ることができるよう助けられなければならないのと同様に、社会における最弱者は高利から自らを守ることができるよう助けられなければなりません。それは、この二つの領域で起こりうる搾取を阻止するためです。富裕国においてもまた新しい形態の貧困が発生していますので、マイクロ・ファイナンスは、全般的な不景気の時期でさえ、社会の弱者のために、新しい事業を開始したり、新しい経済活動の部門を開設したりすることで、実際的な援助を行うことが可能な道です。

消費者の責任について
66 グローバルな相関性によって、政治における新しい勢力が登場しています。すなわち消費者とその団体です。これは、奨励すべき肯定要素と回避すべき過剰な要素を含んでいますので、さらなる究明が必要とされる現象です。人々が、物を買うということがつねに道徳的な行為であって単なる経済的行為ではないと認識するのはよいことです。したがって、消費者は特定の社会的責任をもち、それは、企業の社会的責任と密接に関係し合うものです。消費者は、日常の役割についてたえず教育されるべきです(145)。この役割は、購買行為に固有の経済的合理性を減ずることなく、道徳的原則を尊重して行使することができます。小売業界では、購買力が衰え、人々が倹約的な生活をしなければならない現在のような時代ではとくに、異なる方法を模索する必要があります。たとえば、一部ではカトリック教徒のイニシアティブによって、十九世紀から機能している消費者協同組合のような協同購入の形式は一つの例となります。さらに、生産者にまっとうな利益を保障する形で、世界の貧困地域からの生産物を販売する新しい方法を促進することも役立つでしょう。しかし、一定の条件が満たされなければなりません。それは、市場が真に透明であること、利益幅の増大だけでなく、生産者が専門技能と科学技術に関する改善された養成を受けること、そしてこの種の貿易が党派的なイデオロギーのとりこにならないことです。消費者がより鋭利な役割を果たすことは、自らを真に代表しない集団によって操作されないかぎり、民主主義にかなった経済を構築するために望ましい要素です。

世界規模の政治的権威の必要性について
67 グローバルな相互依存の衰えることのない深化を前にして、世界的な不況のさなかにあっても、国際連合の改革、そして同様に経済の諸制度と国際金融の改革の必要性が強く感じられています。諸国民からなる家族という概念が実際の効力を発揮するためにこれらは必要です。同様に、保護する責任の原理の遂行(146)と、共同の意思決定への貧困国の効果的な参画とに向けた、革新的な方法の確立も急務として実感されています。連帯におけるすべての民族の発展に向けた国際協力を強化し、それを方向づけることのできる政治、法、および経済の秩序に到達するために、これは必要だと思われます。すなわち、グローバル経済の管理、危機に見舞われた経済の再生、現在の危機のさらなる悪化とそこから生じるいっそうの不均衡の回避、全体的かつ時宜にかなった軍縮、食糧安全保障と平和の確立、環境保護の保障、そして移民の法的管理、これらすべてには、先任者福者ヨハネ二十三世が何年も前に指摘したように、真の世界規模の政治的権威が緊急に必要です。このような権威は、法によって規制され、補完性と連帯の原理を一貫して遵守し、共通善の確立を求め(147)、真理に根ざした愛の価値によって鼓舞された真正で全人的な発展を確保することを確約する必要があるでしよう。さらに、このような権威は、世界的に承認され、すべての人の安全、正義への留意、および諸権利の尊重を保障する効果的な権力を付与される必要があります(148)。明らかに、その権威は、それ自身による決定およびさまざまな国際フォーラムで採択される調整措置に対する、全当事者による遵守を保障できる権限をもつ必要もあります。これがなくては、さまざまな領域で偉大な進歩が達成されても、国際法は、最強国間の勢力均衡によって制約される危険にあるでしよう。諸民族の全人的発展と国際協力は、グローバリゼーションの管理のために、補完性を特徴としたより強力な国際秩序の確立を必要としています(149)。それらはまた、道徳的秩序にようやく適合する社会秩序、すなわち道徳的領域と社会的領域の相互関係、さらに、国連憲章に描かれた、政治と経済、政治と社会の領域の相互関係に適合する社会秩序の構築も必要とします。

(142) 教皇庁移住・移動者司牧評議会指針『移住者へのキリストの愛(2004年5月3日)』( Erga Migrantes Caritas Christi : AAS 96 [2004], 762-822 )参照。
(143) 教皇ヨハネ・パウロ二世回勅『働くことについて(1981年9月14日)』8( Laborem Exercens : loc. cit., 594-598 )。
(144) 教皇ヨハネ・パウロ二世「大聖年『労働者の祝祭』ミサ後のあいさつ(2000年5月1日)」。
(145) 教皇ヨハネ・パウロ二世回勅『新しい課題――教会と社会の百年をふりかえって(1991年5月1日)』36( Centesimus Annus : loc. cit., 838-840)参照。
(146) 教皇ベネディクト十六世「国連総会での演説(ニューヨーク、2008年4月18日)」参照。
(147) 教皇ヨハネ二十三世回勅『パーチェム・イン・テリス(1963年4月11日)』( Pacem in Terris : loc. cit., 293)、教皇庁正義と平和評議会『教会の社会教説綱要』441参照。
(148) 第二バチカン公会議『現代世界憲章』82参照。
(149) 教皇ヨハネ・パウロ二世回勅『真の開発とは――人間不在の開発から人間尊重の発展へ(1987年12月30日)』43( Sollicitudo Rei Socialis : loc. cit., 574-575 )参照。