外国語を学ぶと、日本語のこと、日本のことが気になってくる。言語・コミュニケーション・文化についても考えてみよう。
著者が言う「外国人」とは、日本人から見た他国の人間のことではありません。日本人も他国に行けば「外国人」となるのです。相手側の視点に立てば、自分は「外国人」となるのだということを思いつつ、コミュニケーションについて考えてみましょう。
だいぶ前に書かれた本ですが、外国語学習者だけでなく、語学教師、国語教師にも読んでほしい本です。
「ことば」とはいったい何だろう? なぜ「母国語」ではなく「母語」と言うべきか? 戦闘的かつ挑発的な「ことば」論。少し難しいが読んでおきたい。
「文化」を「ある人間集団に特有の、親から子へ、祖先から子孫へと学習により伝承されていく、行動及び思考様式上の固有の型(構図)」(本書「まえがき」より)と理解するとき、「ことば」には「文化」がどのように反映されているか、「ことば」と「文化」とはどのように関わりあっているか? まずはこの本を読みながら考えてみよう。
世界において日本語が占めるべき位置は? 著者の見解に同意するか否かは別にして、言葉を学ぶものとして考えるべきテーマであることは間違いない。
構造言語学や言語道具説などの言語理論は、言語の本質をよくとらえているだろうか。科学的な言語論の確立を意図して書かれた本書では、客体的表現の語と主体的表現の語という独自の視点から、言語の本質が説明される。そこでは、孤立語である中国語や屈折語とよばれる英語などにくらべて、膠着語に属する日本語が、どのような特徴や構造をもつかが、わかりやすく述べられている。日本語を理解するためには不可欠の書といってよい。
(講談社学術文庫版・カバー紹介文より)
「主語」「述語」というとらえ方では日本語は理解できない。「主語」ではなく「題目」ととらえるべきである・・・。少し難しいが、一度は読んでおきたいユニークな日本語論。
「は」と「が」はどう違う? 留学生からそう聞かれて答えに窮した経験はないだろうか。「日本語にももちろん『ことばのきまり』はあるが、日本『文法』はまだない、と考える方が実際的である。学校で教わったとか教わらなかったとかいう国文法というものはどういうものかというと、あれは国文法という名の第二英文法である。日本語の『ことばのきまり』を述べたものではない。」(本書132頁)という三上の主張を、きみはどう受けとめるだろうか?