ジャック・フィリップ『聖霊の導きのままに』

戸口民也訳

内容紹介(「目次」と「はじめに」)


目 次

はじめに
第1部 聖性は聖霊の業
 1. わたしたちの力を越える仕事
 2. 神だけが一人ひとりの道を知っておられる
 3. 恵みへの忠実は他の恵みを引き寄せる
第2部 どうすれば霊感の働きを促せる?
 1. 賛美と感謝を実践する
 2. 霊感を望み求める
 3. 神には何ひとつ拒まないと決心する
 4. 子としての信頼をもって従順を実践する
 5. 神への委託を実践する
 6. 離脱を実践する
 7. 沈黙と平和を実践する
 8. 念祷を忠実に忍耐強く続ける
 9. 心の動きを注意深く見つめる
10. 霊的指導者に心を開く
第3部 どうすれば霊感が神からのものと分かる?
 1.「霊的感覚」を少しずつ身につける
 2. 霊感が神からのものかどうかを識別する基準
  外的な基準:神には矛盾はない
  聖書と教会の教えに反しない
  自分の召し出しからくる要求に反しない
  内的な基準:木の良し悪しはその実で分かる
  経験を積む
  霊の識別
  しるしについての補足:一貫性と謙遜
  霊感の重要度により行動の仕方も変わる
  恵みに忠実になれないときは?
結びとして
 メルシエ枢機卿の祈り
付録1 ルイ・ラルマンのテキストから
 1. 聖霊への従順とは
 2. 聖霊への従順に至る方法
 3. この方法への反対意見に答えて
 4. 従順へと向かう理由
  完徳も救いも恵みへの従順にかかっている
 5. 恵みの素晴らしさとそれに逆らうことの誤り
付録2 聖フランソワ・ド・サルのテキストから
 1. 霊を識別する基準
 2. 従順、真の霊感であることのしるし
 3. 神の御旨を知るための簡単な方法
 4. 聖霊はマリアの内で何の妨げもなく働いていた
 5. 聖霊の七つの賜物
付録3 自由と従順
著者紹介


はじめに

 ああ、わたしのイエスさま、聖人になるのは何とやさしいことでしょう、ほんの少しの善意さえあればよいのですから。そして、イエスさまが霊魂の内に、このわずかばかりの善意を見つけ出されるなら、すぐさま御自分をその霊魂に与えてくださるのです。どんなものも、イエスさまを止めることはできません、過ちも、失敗も、絶対に。イエスさまは急いでその霊魂をお助けになりますから、その霊魂は、もしもこうした神の恵みに忠実であるなら、すぐに、被造物がこの世で達することができる最高の聖性にまで至ることができるでしょう。神はいとも寛大な御方ですから、どんな人に対してもその恵みを拒まれることはありません。わたしたちが願う以上のものさえ与えてくださるのです。一番の近道、それは聖霊からの霊感に忠実であることです。

 この美しい文章は、ファウスティナ修道女1の『日記』から引用したもので、単純で簡潔な文章を通じて、聖性を求めるすべての人にとって ― もっとわかりやすく言うなら、神の愛にできる限り完全に応えたいと望んでいるすべての人にとって ― 実に重要なメッセージを伝えています。

 そうした人々にとって大きな問題となること、ときとして大きな不安となることは、どのようしたら聖性へと至ることができるのかを知ることです。

 読者であるあなたは、この問題がひどく気になったことは、今まで一度もなかったかも知れません。たぶんあなたは、可能な限りの愛で神を愛したいなどという強い願いを心に抱いたことは、今まで一度もなかったかも知れません。でしたらどうぞ、聖霊に願い求めてください、そうした願いを心に抱かせてくださいと、そして、心が安まるときが決してありませんようにとさえ願ってみてください。そのときあなたは幸いな人となるでしょう、「義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる」(マタイ5・6)2

 このように満ち溢れる愛を熱望する人々にとって、道を ― とりわけ近道を ― 教えてくれるような情報は、なんであれ、実に貴重なものとなるでしょう。ほとんど誰も気づいていませんが、聖なる霊魂がより速く、より一層聖なる者となれるようにすることは、罪人が回心できるようにすることと同じくらい大切なことだと、わたしには思えるのです。どちらも教会にとって同じくらい益となりますし、世界は聖人たちの祈りによって救われるでしょうから。

 ですからわたしたちは、今日のキリスト者たちに ― たとえ彼ら全員がその言葉を理解できるわけではないとしても ― 聖人たちの最善のメッセージを伝えることによって、彼らが完全な愛へと向かってより早く進めるようにすることは、とても大切なことだと思うのです。

 この道を進むための鍵となることは、たぶん、わたしたちの努力を何に集中すれば良いかを知ることでしょう。それは必ずしも明らかではありませんし、わたしたちが最初に思い描くこととも限りません。

 ファウスティナ修道女は、最初に引用した文章においても、また『日記』の別の箇所で書いていることにおいても、わたしたちに示唆を与えてくれます。それは彼女が経験したことの実りであり、耳を傾けるだけの価値があることす。一番の近道、それは聖霊からの霊感に忠実であることです。だからファウスティナ修道女は、わたしたちの努力を、それが実を結ばないかも知れないようなところにあちこち分散させるのではなく、一点に集中させるよう勧めるのです。その一点とは、聖霊からの霊感を見極め、受け入れ、実行するということです。まさにそれこそが、何にも増して「有効な」方法と言えるでしょう。

 その理由をこれから説明し、そしてそれが具体的にはどういうことを意味しているか、述べてみたいと思います。



1. ファウスティナ・コヴァルスカ修道女は、1905年に生まれ、1938年10月5日に死去、ヨハネ・パウロ2世教皇によって1993年の復活節第2主日に列聖された。このポーランドの修道女は、神のいつくしみをもっと世界に知らせるようにとの使命をイエスから受け、とくにその手段として「いつくしみのキリスト」のイコンを描かせた。
2. 聖書で言われる「義(正義)」とは、わたしたちが普通に考えているような意味ではなく、神を愛し隣人を愛することによって、神の御心に完全に「応えようとする」意志をもつ人のあり方、つまり聖性を目指している人のあり方を言います。