フフランス古典劇への招待


 どんな社会にも法や規則があるように、芸術の世界にも約束事がある。一七世紀フランスの演劇にもいくつかの「きまり」があった。フランス古典劇の規則と呼ばれているもので、作家も俳優も観客もすべてこの規則を前提としながら劇を作り、演じ、あるいは見ていた。その第一が古代ギリシャ・ローマをモデルにすることである。

 実際に、フランス古典劇には古代ギリシャ・ローマの劇をモデルとした作品が多い。前回取り上げたラシーヌの悲劇『フェードル』もそのひとつである。当時のフランスは古典主義の絶頂期にあった。ところで、ヨーロッパでただ単に「古典」といえば古代ギリシャ・ローマのこと、より具体的にはその文学・芸術作品をいう。そして古典主義とは、古典を普遍的な美のモデル・理想とし、そこに創作活動の基本をおく芸術的立場・思想といったらよいだろう。

 そういう時代だったから、演劇の世界でも、作者や俳優だけでなく観客も古典の知識を共有していた。たとえば『フェードル』の台詞には、古代の神話やエウリピデスやセネカの悲劇からの借用がいたるところにちりばめられている。(借用と言ったが、日本にも本歌取りという手法がある。それをイメージしていただくと良い。)それは、観客がこの劇のテーマや登場人物をある程度は知っていることを前提に、作者が意識的に行ったことだった。そうやって古代神話の雰囲気を喚起し、観客をドラマの世界に引き入れるための配慮なのである。それは古典主義の劇作法の基本でもあった。

 日本で言えば、中国の歴史を例にしたらわかりやすいだろうか。中国史の正確な知識がなくとも、たとえば三国志を題材とした劇ということがわかれば、たいていの日本人はその世界に抵抗なく入っていけるだろう。

 一七世紀フランス演劇の気に入りの世界は古代ギリシャ・ローマだった。モデルに従うのは良いことだから、模倣も借用も奨励された。それでは作家の独創性はどうなるのか。それについては次回取り上げることにする。


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