フランス文学と愛


 万葉の昔から、恋は日本文学の重要なテーマだった。フランスでも中世の騎士道恋愛物語以来、恋愛はフランス文学の伝統をなしており、傑作も多い。ただ、日本ではしばしば恋のはかなさが描かれるのに対して、フランス文学に現れた愛はいかにもはげしい。その「はげしい」恋を見事に歌い上げたのがラシーヌ(1639-1699)である。

 一七世紀はフランス古典主義文化の黄金時代。「朕は国家なり」で有名なルイ一四世がヴェルサイユ宮殿をつくり、君臨した時代である。ラシーヌの悲劇は、フランス語の粋を極めたその詩句により、フランス語の美しさを誇るとき「ラシーヌの言語」といわしめたほどである。そのラシーヌの最高傑作が悲劇『フェードル』で、宿命的な恋にさいなまれるヒロインを緊張感あふれる美しい詩句によって見事に描きあげている。

 次に紹介するのは、第一幕第三場のフェードルの台詞、不幸な恋の発端を語る場面である。

 「私はその人を見た、見て顔を赤らめ、色を失った。/我を忘れたこの心に、激しい不安がまき上がり、/もはや目は見えず、話すこともできなかった。/全身が凍りつき、燃え上がる。/まさしくこれは女神ヴェニュス、その恐るべき恋の炎、/女神に呪われた血筋には、避けることができぬ責め苦。」

 恋の情熱がフェードルの身にどのように襲いかかったかを、ラシーヌは簡潔で力強い詩句によって表現している。その人を一目見たその瞬間、フェードルは「顔を赤らめ、色を失」う。それだけではない。彼女の肉体全体が「凍てつくかと思えば、また火と燃え上が」る。まさにこれは女神ヴェニュス(ヴィーナス)の仕業、フェードルの一族に対する憎しみから、恋の炎によって彼女を狂わせようとしているのである。

 恋は激しい炎のようにフェードルの心と体を責めさいなみ、焼き尽くし、滅ぼさずにはおかない。まさしくこれは宿命の恋、フランス文学を代表する「はげしい」恋のドラマである。


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