外国語を学ぶとは


 毎年春になると新入生に聞くことがある。それは、何のために外国語を学ぶのかということだ。

 学生たちの答えは大体決まっている。会話ができるようになりたい、外国の人と知り合いになって、コミュニケーションがしたい…

 それは結構。そこで私はさらに質問する。では、外国人と知り合って何を話すのか、どんなことを語り合いたいのか。

 そう問い詰められると、あわれな新入生はもう答えられなくなってしまう。そこで私は言うのである。それが君に与えられた課題です、これからの学生生活を通じて人と語り合うべきテーマを見つけなさいと。

 たしかに言葉はコミュニケーションのための手段、道具である。だが、語り合うためのテーマがなければ、真の意味でのコミュニケーションは成り立たない。それを考えずに会話が出来るようになりたいといっても、実は意味がないのである。

 もうひとつ忘れてならないのは、人は言葉でもって考えるということである。だから外国語を学ぶときには、文字、単語、表現、文法だけでなく、その言語独特の発想法や表現法もあわせて学ぶことになる。

 言葉を思想や文化と切り離すことはできない。外国語を学ぶとは、その言語が用いられている国や地域の人と文化を知ることでもある。言葉と文化をともに学びながら、新しい世界に向かって自分を開いてゆく—それが本当の意味で外国語を学ぶことなのである。

 外国語を学ぶことによって、私たちは他者を知り、私たちが慣れ親しんでいる日本的なものの見方、考え方とはずいぶんとちがった世界を発見する。そのときはじめて私たちは、自分の言葉、自分の文化、自分自身を客観的にとらえることができるようになる。

 他者との比較なしには自己を知ることはできない。そのままでは見ることができない自分の姿を、他の言語・文化という鏡に映すことによって見る—そこまでいった時、その外国語は「私の言葉」となったと言えるだろう。


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