天使と野獣


 「人間は天使でも野獣でもないが、不幸なことに、天使になろうとすると野獣になってしまう。」

 パスカルの有名な断章である。しかし、人間を天使や野獣と較べること自体はパスカルの独創ではない。たとえばモンテーニュは『エセー』のなかで次のように語っている。

 「彼らは自分の外にでて人間から抜け出すことを望む。愚かなことだ。天使に変身するかわりに野獣に変身し、高く上がるかわりに地に落ちる。」

 宗教戦争の真っただなかを生きたモンテーニュは、狂信や独善に陥った人間がどれほど大きな災いを引き起こすかよく知っていた。天使になるかわりに野獣と化してしまった人間の実例は、いたるところに見られたからである。考えてもみるがよい、人間は自分の肉体すら思うようにできないではないか -- そう言いながら、モンテーニュは人間の傲慢をいましめてやまないのである。

 『エセー』はパスカルが愛読した書物であり、パスカルは多くのアイデアをモンテーニュから得ていた。冒頭の断章もモンテーニュを念頭に置きながら書いたに違いない。しかし、表現の仕方が微妙に違うように、パスカルが強調するところはモンテーニュと同じではない。

 たしかに人間は天使にはなれない。天使と較べることすら滑稽なほど、弱く惨めな存在である。しかも自分が惨めであることを知っているだけに、何も考えぬ動物よりも一層惨めであると言えるかもしれない。

 しかし「考える葦」は自分の惨めさを知るがゆえに偉大である。だから「人間は、自分が野獣に等しいとも、天使に等しいとも思ってはならない。どちらも知らずにいるのではなく、どちらも知っていなければならない。」

 パスカルは人々をキリストに導くために『パンセ』を構想した。この断章も「みずから高ぶる者は下げられ、みずからへりくだる者は上げられる」というイエスの言葉と重ね合わせて読むとき、その意味をより深く味わえるだろう。


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